~時代を切り開いた人々~
幕末日本の群像【全6回】
会場: 604
新設講座 おすすめ 運営管理費
<講座内容>
中国がアヘン戦争(1840~42)でイギリスに敗北したことは、日本の知識人に大きな衝撃を与えました。彼らの中から少数ではありますが、長年にわたる鎖国と封建体制からの脱却を志向する人々が現われ始めます。この時代は、テレビの歴史ドラマでもこれまで数多く作品化され、一般市民の関心・人気がとくに高い分野であるといえるでしょう。
本講座では、渡辺崋山・吉田松陰・橋本左内・佐久間象山・横井小楠・大塩平八郎の6人の思想家を取り上げ、彼らの人物像や思想を紹介していきます。
<カリキュラム>
(1)渡辺崋山(わたなべ・かざん。1793~1841)
蘭学者・画家・政治家。名は定静(さだやす)。通称、登。
三河田原藩の家老で、海防掛を兼務。佐藤一斎に儒学を、谷文晁に南画を学び、のち西洋画の遠近法や彩色法を取り入れて写実的画風を確立。特に、肖像画に独自の作風を築いた。
モリソン号事件を契機に、「慎機論」を著し、幕府の対外政策を批判したため、蛮社の獄に連座して投獄され、のちに自決した。
(2)吉田松陰(よしだ・しょういん。1830~1859)
思想家・尊王論者。名は矩方(のりかた)。通称、寅次郎。欧米遊学を志し、ペリーの船で密航を企てたが失敗して入獄。出獄後、萩の松下村塾で高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文ら多くの明治維新の功労者を育てた。安政の大獄で刑死。
(3)橋本左内(はしもと・さない。1834~1859)
福井藩士。名は弘道。号、景岳。緒方洪庵の塾で蘭学・医学を学び、藩主松平慶永に認められ、藩政改革に尽力。将軍継嗣問題では、慶永の意向を受けて、一橋慶喜擁立に奔走した。安政の大獄で刑死。
(4)佐久間象山(さくま・しょうざん。1811~1864)
信濃松代藩士。名は啓(ひらき)。初め朱子学を、のち蘭学を修め、西欧の科学技術の導入による国力の充実を主張したが、京都で攘夷派に暗殺された。門下に勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬がいる。
(5)横井小楠(よこい・しょうなん。1809~1869)
思想家、政治家。熊本藩士。名は時存。通称、平四郎。号、小楠。肥後実学党の指導者として、熊本藩の藩政改革に努めたが失敗し、松平慶永に招かれて福井藩の藩政改革を指導、富国安民を説く。幕府政事総裁職に就任した慶永を助けて、文久の幕政改革、公武合体運動を推進した。
明治維新後新政府に招かれて参与に登用されたが、欧米信奉の元凶と目され、京都で攘夷派の浪士に暗殺された。
(6)大塩平八郎(おおしお・へいはちろう。1793~1837)
江戸後期の陽明学者。名は後素。号は中斎。大坂町奉行与力を辞職後、私塾「洗心堂」を主宰し、子弟の教育にあたった。
天保7年(1836)の飢饉では、大阪市中にも多数の窮民・飢民が発生したが、大坂町奉行所は何ら積極的な対策を講じなかった。大塩は奉行所に再三救済を請うたが容れられず、ついに天保8年(1837)幕政を批判して大阪で兵を挙げたが、敗れて自決した。
を予定しております。
<講座内容>
中国がアヘン戦争(1840~42)でイギリスに敗北したことは、日本の知識人に大きな衝撃を与えました。彼らの中から少数ではありますが、長年にわたる鎖国と封建体制からの脱却を志向する人々が現われ始めます。この時代は、テレビの歴史ドラマでもこれまで数多く作品化され、一般市民の関心・人気がとくに高い分野であるといえるでしょう。
本講座では、渡辺崋山・吉田松陰・橋本左内・佐久間象山・横井小楠・大塩平八郎の6人の思想家を取り上げ、彼らの人物像や思想を紹介していきます。
<カリキュラム>
(1)渡辺崋山(わたなべ・かざん。1793~1841)
蘭学者・画家・政治家。名は定静(さだやす)。通称、登。
三河田原藩の家老で、海防掛を兼務。佐藤一斎に儒学を、谷文晁に南画を学び、のち西洋画の遠近法や彩色法を取り入れて写実的画風を確立。特に、肖像画に独自の作風を築いた。
モリソン号事件を契機に、「慎機論」を著し、幕府の対外政策を批判したため、蛮社の獄に連座して投獄され、のちに自決した。
(2)吉田松陰(よしだ・しょういん。1830~1859)
思想家・尊王論者。名は矩方(のりかた)。通称、寅次郎。欧米遊学を志し、ペリーの船で密航を企てたが失敗して入獄。出獄後、萩の松下村塾で高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文ら多くの明治維新の功労者を育てた。安政の大獄で刑死。
(3)橋本左内(はしもと・さない。1834~1859)
福井藩士。名は弘道。号、景岳。緒方洪庵の塾で蘭学・医学を学び、藩主松平慶永に認められ、藩政改革に尽力。将軍継嗣問題では、慶永の意向を受けて、一橋慶喜擁立に奔走した。安政の大獄で刑死。
(4)佐久間象山(さくま・しょうざん。1811~1864)
信濃松代藩士。名は啓(ひらき)。初め朱子学を、のち蘭学を修め、西欧の科学技術の導入による国力の充実を主張したが、京都で攘夷派に暗殺された。門下に勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬がいる。
(5)横井小楠(よこい・しょうなん。1809~1869)
思想家、政治家。熊本藩士。名は時存。通称、平四郎。号、小楠。肥後実学党の指導者として、熊本藩の藩政改革に努めたが失敗し、松平慶永に招かれて福井藩の藩政改革を指導、富国安民を説く。幕府政事総裁職に就任した慶永を助けて、文久の幕政改革、公武合体運動を推進した。
明治維新後新政府に招かれて参与に登用されたが、欧米信奉の元凶と目され、京都で攘夷派の浪士に暗殺された。
(6)大塩平八郎(おおしお・へいはちろう。1793~1837)
江戸後期の陽明学者。名は後素。号は中斎。大坂町奉行与力を辞職後、私塾「洗心堂」を主宰し、子弟の教育にあたった。
天保7年(1836)の飢饉では、大阪市中にも多数の窮民・飢民が発生したが、大坂町奉行所は何ら積極的な対策を講じなかった。大塩は奉行所に再三救済を請うたが容れられず、ついに天保8年(1837)幕政を批判して大阪で兵を挙げたが、敗れて自決した。
を予定しております。
講座詳細
| クラス | 一般 |
|---|---|
| 曜日・時間 |
第2
金曜日
13時00分 ~ 14時30分 |
| 受講料金ほか |
2026年4月~9月(6回) |
※受講料金は、受講料と運営管理費を合わせた金額です(一部講座を除く)。
そのほか、教材費(テキスト、資料、教材などの費用)、団体傷害保険料が必要な講座があります。
講座内容によって異なりますので、詳細はお問い合わせください。
持ち物・ご購入いただくもの
■持参品/筆記用具その他
▶写真 吉田松陰出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
会場
604札幌市中央区北1条東1丁目7-1 アルファセンタービル6階
講師
田海 秀穂
北海道大学中国哲学会会員
講師プロフィール
専攻は江戸時代における儒学思想、横井小楠の経世思想研究。
お問い合わせ・お申し込み
札幌道新文化センター札幌教室
〒060-0031 札幌市中央区北1条東1丁目7-1 アルファセンタービル
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