帯広道新文化センター道新教室 ☎ 0155-22-9714 :平日 9:30~18:30 土曜 9:30~18:00 (日曜・祝日休み)

深掘り「勲功華族の仁礼・音幌農場経営」

十勝歴史探求21

会場: 第1教室

見学不可 おすすめ 夜間講座 施設使用料

明治新政府は、明治17年「華族令」を公布し、512人に爵位を授与した。次いで、同19年には「華族世襲財産法」を制定して、華族を経済面から支える体制を築き上げた。これらの措置は天皇の藩塀としての役割を華族に課し、天皇制確立を確固たるものにするためであった。華族となったのは、旧公家・藩主に加え、明治維新に功績のあった者たちで、その中には必ずしも経済的に裕福な者たちだけではなかった。そのため、華族の体面を保つため財産を運用して、資産を殖やす必要があった。その方策の一つが欧州貴族にならった農場経営だったのである。

①勲功華族の実相
旧鹿児島藩士仁礼景範は、明治維新に功績があったとして明治17年子爵の爵位を受けた。幕末に米国に留学していた景範は、明治政府の要請を受け海軍に入る。後に、西郷従道、川村純義とともに「海軍三元勲」と呼ばれるようになり、陸軍の下部組織だった海軍を陸軍同等の組織とした。
②仁礼農場と池田農場
勲功華族であった仁礼景範、大名華族であった池田仲博は、同じ時期に共に十勝国に農場を持つことになる。音更と池田という至近距離にありながら、その経営形態には大きな違いがあった。仲博が旧大名池田家当主で、第15代将軍徳川慶喜の五男という家柄も大きく作用した。
③仁礼農場の経営と北海道農場調査
明治30年、仁礼景範は約149万坪の貸付を受け、翌年から富山県や石川県、宮城県などから小作人を募移し、農場管理人に旧会津藩士の金子安蔵を当て、開墾に着手した。入植地は、幸いにして下帯広市街地まで約2里の利便地であったが、大正初期、仁礼家の家運は次第に傾く。
④音更市街地の形成
仁礼農場は、現在の音更市街を含む音更川両岸に広がっていた。明治35年頃から戸長役場を中心に次第に街並みが形成されるようになり、雑貨・荒物・呉服・金物店などが軒を並べるようになる。また、学校・郵便局・社寺なども順次整備され、一廉の市街地へ発展する。
⑤音幌農場の小作争議
大正初期、農場は齋藤実の手に渡った。農場の設置期限は、大正19年までとされていたが、そのことを知る小作人はいなかった。昭和4年、管理人茂原鋭一は、農場の借金返済に充てるため小作地470町歩を16万円で売却。これに対し、小作人は永小作権の確認を求め、争議に発展する。
⑥音幌農場主斉藤実の遺言
 争議の推移は、朝鮮総督としてソウルに赴任していた齋藤実に逐一報告された。地元では、「音幌農場解放批判大演説会」が十勝会館で開催され、全国農民組合北海道連合会が小作人を支援、北海道の労農運動の先駆的なものとなったが、なかなか解決には至らなかった。

明治新政府は、明治17年「華族令」を公布し、512人に爵位を授与した。次いで、同19年には「華族世襲財産法」を制定して、華族を経済面から支える体制を築き上げた。これらの措置は天皇の藩塀としての役割を華族に課し、天皇制確立を確固たるものにするためであった。華族となったのは、旧公家・藩主に加え、明治維新に功績のあった者たちで、その中には必ずしも経済的に裕福な者たちだけではなかった。そのため、華族の体面を保つため財産を運用して、資産を殖やす必要があった。その方策の一つが欧州貴族にならった農場経営だったのである。

①勲功華族の実相
旧鹿児島藩士仁礼景範は、明治維新に功績があったとして明治17年子爵の爵位を受けた。幕末に米国に留学していた景範は、明治政府の要請を受け海軍に入る。後に、西郷従道、川村純義とともに「海軍三元勲」と呼ばれるようになり、陸軍の下部組織だった海軍を陸軍同等の組織とした。
②仁礼農場と池田農場
勲功華族であった仁礼景範、大名華族であった池田仲博は、同じ時期に共に十勝国に農場を持つことになる。音更と池田という至近距離にありながら、その経営形態には大きな違いがあった。仲博が旧大名池田家当主で、第15代将軍徳川慶喜の五男という家柄も大きく作用した。
③仁礼農場の経営と北海道農場調査
明治30年、仁礼景範は約149万坪の貸付を受け、翌年から富山県や石川県、宮城県などから小作人を募移し、農場管理人に旧会津藩士の金子安蔵を当て、開墾に着手した。入植地は、幸いにして下帯広市街地まで約2里の利便地であったが、大正初期、仁礼家の家運は次第に傾く。
④音更市街地の形成
仁礼農場は、現在の音更市街を含む音更川両岸に広がっていた。明治35年頃から戸長役場を中心に次第に街並みが形成されるようになり、雑貨・荒物・呉服・金物店などが軒を並べるようになる。また、学校・郵便局・社寺なども順次整備され、一廉の市街地へ発展する。
⑤音幌農場の小作争議
大正初期、農場は齋藤実の手に渡った。農場の設置期限は、大正19年までとされていたが、そのことを知る小作人はいなかった。昭和4年、管理人茂原鋭一は、農場の借金返済に充てるため小作地470町歩を16万円で売却。これに対し、小作人は永小作権の確認を求め、争議に発展する。
⑥音幌農場主斉藤実の遺言
 争議の推移は、朝鮮総督としてソウルに赴任していた齋藤実に逐一報告された。地元では、「音幌農場解放批判大演説会」が十勝会館で開催され、全国農民組合北海道連合会が小作人を支援、北海道の労農運動の先駆的なものとなったが、なかなか解決には至らなかった。

講座詳細

クラス 一般
曜日・時間 第2・4 木曜日
18時30分 ~ 20時00分
受講料金ほか

2022年10月~12月(6回)
受講料金:11,880円
資料代:660円

※受講料金は、受講料と施設使用料を合わせた金額です(一部講座を除く)。 そのほか、教材費(テキスト、資料、教材などの費用)、団体傷害保険料が必要な講座があります。 講座内容によって異なりますので、詳細はお問い合わせください。

持ち物・ご購入いただくもの

●持参品/筆記用具

会場

第1教室
帯広市西4条南9丁目 帯広道新ビル3階

講師

後藤 秀彦
十勝管内博物館学芸職員等協議会顧問

講師プロフィール

1947年浦幌町生まれ。立正大学文学部史学科(考古学専攻)卒。浦幌町教育委員会事務局勤務後、浦幌町立博物館長、教育委員会管理課長、同教育次長を歴任。2009年定年退職。この間、北海道遺跡等調査員、北海道考古学会委員、北海道発掘調査促進方策検討委員会委員、文化庁重要考古資料選定委員会委員、史跡ユクエピラチャシ跡保存整備委員会委員などを歴任。現在大谷短期大学非常勤講師など。

お問い合わせ・お申し込み

帯広道新文化センター道新教室

0155-22-9714

〒080-0014 帯広市西4条南9丁目1−4 道新ビル3F

窓口営業時間:平日 9:30~18:30 土曜 9:30~18:00
日曜・祝日休み