帯広道新文化センター道新教室 ☎ 0155-22-9714 :平日 9:30~18:30 土曜 9:30~18:00 (日曜・祝日休み)

幕末期のトカチ

十勝歴史探求17

会場: 第2教室

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18世紀になると露国船・米国船に混じってどこの国の船なのかも知れない異国船が東蝦夷地の海岸に来航するようになった。そして、1853(嘉永6)年6月、米国大統領の国書を携えたペリー提督が4隻の蒸気船を従えて浦賀沖に来航。翌年には日米和親条約を結び、下田と箱館の2港を開くことになる。この国策の変更に伴い、蝦夷地は海外への玄関口となり、国際関係の前面に出ることになる。

①トカチのアイヌコタン
アイヌ民族は、海岸線や川筋に沿ってコタン(ムラ)を作り生活した。コタンは、住居が1戸でも数
戸でも「コタン」と呼んだという。こうした伝統的なコタンは、場所請負制の進展とともにしだいにその
姿を変え、疫病や災害も頻発して、人口を減らしていく。
②福島屋のトカチ場所経営と和人の定住
1829(文政12)年にトカチ場所を請負った箱館の福島屋は、しだいに莫大な運上金を納める豪商に
成長し、トカチ経済のすべてを握る。そして、そこで働く和人たちの一部はやがて広尾や大津に定住する
ようになり、十勝の草分けとなる。これらの人物の多くは青森県大畑出身だった。
③松浦武四郎が出会った古老たち
松浦武四郎は、6度蝦夷地に渡り、4度トカチ入りした。この際の記録は、『竹四郎廻浦日記』などとして出版されている。4度のトカチ踏査で、その土地の古老に会い、旧交を温めた。著書『近
世蝦夷人物誌』のトカチ関係分としてトルホツパら、感銘を受けた5人の古老を紹介している。
④ペリー提督の浦賀来航とトカチ
1853(嘉永6)年6月、米国大統領の国書を持った海軍提督ペリーが浦賀に来航、その19日後には
将軍家慶が没した。老中は、米国への返書を巡って諸大名はじめ幕吏からも意見を徴したが、この方策が結果として幕府の権威を凋落させ、幕府壊滅へのプロセスとなる。
⑤奥羽六藩の分領と広尾屯所
日米和親条約締結に基づき、1854(安政元)年2月、下田と箱館の港が開かれ、外国船が来航するこ
とが可能となった。その結果、国防の重要性が増し、蝦夷地を奥羽六藩(会津・仙台・久保田・庄内・盛岡・弘前)に分領して警衛と開拓を行わせることになり、トカチは仙台藩領となった。
⑥静岡藩・鹿児島藩の分領支配
1869(明治2)年6月、明治新政府は開拓使を設置して、前佐賀藩主鍋島直正を開拓督務に任命した。
明治政府は国防上の理由から北海道開拓を進める必要があったが、開拓使にはそうした力はなく、有力大藩や寺院などに強制的に分領し、支配させた。十勝国は、静岡藩と鹿児島藩に分領された。

18世紀になると露国船・米国船に混じってどこの国の船なのかも知れない異国船が東蝦夷地の海岸に来航するようになった。そして、1853(嘉永6)年6月、米国大統領の国書を携えたペリー提督が4隻の蒸気船を従えて浦賀沖に来航。翌年には日米和親条約を結び、下田と箱館の2港を開くことになる。この国策の変更に伴い、蝦夷地は海外への玄関口となり、国際関係の前面に出ることになる。

①トカチのアイヌコタン
アイヌ民族は、海岸線や川筋に沿ってコタン(ムラ)を作り生活した。コタンは、住居が1戸でも数
戸でも「コタン」と呼んだという。こうした伝統的なコタンは、場所請負制の進展とともにしだいにその
姿を変え、疫病や災害も頻発して、人口を減らしていく。
②福島屋のトカチ場所経営と和人の定住
1829(文政12)年にトカチ場所を請負った箱館の福島屋は、しだいに莫大な運上金を納める豪商に
成長し、トカチ経済のすべてを握る。そして、そこで働く和人たちの一部はやがて広尾や大津に定住する
ようになり、十勝の草分けとなる。これらの人物の多くは青森県大畑出身だった。
③松浦武四郎が出会った古老たち
松浦武四郎は、6度蝦夷地に渡り、4度トカチ入りした。この際の記録は、『竹四郎廻浦日記』などとして出版されている。4度のトカチ踏査で、その土地の古老に会い、旧交を温めた。著書『近
世蝦夷人物誌』のトカチ関係分としてトルホツパら、感銘を受けた5人の古老を紹介している。
④ペリー提督の浦賀来航とトカチ
1853(嘉永6)年6月、米国大統領の国書を持った海軍提督ペリーが浦賀に来航、その19日後には
将軍家慶が没した。老中は、米国への返書を巡って諸大名はじめ幕吏からも意見を徴したが、この方策が結果として幕府の権威を凋落させ、幕府壊滅へのプロセスとなる。
⑤奥羽六藩の分領と広尾屯所
日米和親条約締結に基づき、1854(安政元)年2月、下田と箱館の港が開かれ、外国船が来航するこ
とが可能となった。その結果、国防の重要性が増し、蝦夷地を奥羽六藩(会津・仙台・久保田・庄内・盛岡・弘前)に分領して警衛と開拓を行わせることになり、トカチは仙台藩領となった。
⑥静岡藩・鹿児島藩の分領支配
1869(明治2)年6月、明治新政府は開拓使を設置して、前佐賀藩主鍋島直正を開拓督務に任命した。
明治政府は国防上の理由から北海道開拓を進める必要があったが、開拓使にはそうした力はなく、有力大藩や寺院などに強制的に分領し、支配させた。十勝国は、静岡藩と鹿児島藩に分領された。

講座詳細

クラス 一般
曜日・時間 第2・4 木曜日
18時30分 ~ 20時00分
受講料金ほか

2020年10月~12月(6回)
受講料金:10,560円
資料代:660円

※受講料金は、受講料と施設使用料を合わせた金額です(一部講座を除く)。 そのほか、教材費(テキスト、資料、教材などの費用)、団体傷害保険料が必要な講座があります。 講座内容によって異なりますので、詳細はお問い合わせください。

持ち物・ご購入いただくもの

●持参品/筆記用具

会場

第2教室
帯広市西4条南9丁目 帯広道新ビル3階

講師

後藤 秀彦
十勝管内博物館学芸職員等協議会顧問

お問い合わせ・お申し込み

帯広道新文化センター道新教室

0155-22-9714

〒080-0014 帯広市西4条南9丁目1−4 道新ビル3F

窓口営業時間:平日 9:30~18:30 土曜 9:30~18:00
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